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浄土真宗本願寺派 善教寺

キリスト教  ChristianityHEADLINE

聖典:旧約聖書、新約聖書
信仰対象:父なる神、イエス・キリスト、聖霊「三位一体」

・イエスはガラリアのナザレにマリアの子として産まれる。

・家業の大工をしていたが、30歳の時、ヨルダン川でヨハネ
 から洗礼を受ける。

・ユダヤ教徒として、(旧約)聖書を引用して布教する。

・イエスは四○日間の断食修行中、悪魔から誘惑を受ける。
「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」
「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの
 言葉で生きるのだ」

・イエス(ユダヤ教徒)はエルサレムの神殿で当時のユダヤ教の
 祭司を批判し避難した。保守的なユダヤ教徒には、その言動が
 ユダヤ教の冒涜に映り処刑される。イエスはユダヤ人の選民思想
 に異議を唱え、《父(神)は、悪人にも善人にも太陽を昇らせ、
 正しいものにも、正しくないものにも雨を降らせてくださる。》
 とし、《あなたがた、貧しいものはさいわいだ。神の国はあなた
 がたのものである。》と神の愛を強調した。
 ユダヤ人の出エジプトを助け解放した神をまつるユダヤ教は、
 ユダヤ人のための宗教(選民)だが、イエスはあらゆる人に
 神の愛を説き、神を信じるものは誰でも救われると説いた。
 その結果、捕らえられゴルゴダの丘で処刑。

・処刑の時、弟子たちは自分たちにも危険が及ぶことを恐れ、
 イエスは知らない人だと言って見捨てて逃げていった。

・イエスは十字架の上で孤独に死んでいくが、墓に葬られて三日後
 の朝、復活する。その姿を最初にマグダラのマリアの前に現す。
 その姿を裏切った弟子たちも目にし、考えを変え、イエスは神の
 子であり、キリスト(救世主)であったと認識し、キリスト教が
 始まる。

・復活したイエスから布教を命じられた12人の弟子たちはエルサ
 レムで教団をつくる。代表はペテロ。当時はまだユダヤ教とほと
 んど同じ行動をとっていたが、洗礼のさい、パンをさいて一緒に
 食べるという聖餐を行う。

・徐々に教団は拡大し、ユダヤ人以外の信者も増え、ユダヤ教の
 色彩が弱まる。ユダヤ教では神は唯一の存在だが、イエスの弟子
 たちは神と神の子であるイエスと聖霊の三位一体を説く点が大き
 く異なる。また、ユダヤ教の聖書を「旧約聖書(神との古い契約
 )」と呼び、イエスによって神と新しい契約が結ばれたものを
「新約聖書」と呼んだ。ユダヤ教徒にとっては聖書は聖書であり、
 旧約ではない。

・ローマ帝国にできた教会(ローマ教会)の初代司教はペテロであ
 り、ローマ教会の長は今日まで全員ペテロの後継者と考えられて
 いる。三一三年、ローマではコンスタンティヌス帝からミラノ勅
 令が出され、キリスト教が公認宗教になった。

・三九五年、ローマ帝国は東と西に分裂する。ローマ教会は最初は
 教会は統一されていたが、一0五四年に東西に分離した。

○東ローマ帝国・・首都はコンスタンティノープル。東方教会。正しくは東方正教会。ギリシャ語を使用。偶像崇拝になるとして、聖像崇拝に厳しい。一四五三年に東ローマ帝国がトルコ帝国に滅ぼされ、教会はイスラム教寺院になった。後に本部はモスクワへ移る。

○西ローマ帝国・・首都はローマ。西方教会。カトリック教会とも呼ばれる。指導者はローマ法王。ラテン語を使用。イエスの弟子のペテロを初代司教であるとし、その後継者がローマのカトリック教会の司教と主張し、教皇と呼ぶ。聖像崇拝に寛大。

●宗教改革・・カトリック教会は教皇絶対主義であったが、フィリップ四世が教皇を幽囚し、王権が優位に立つ。教会の財政は破綻し、教皇庁は免罪符を発行した。免罪符とは、自己の犯した罪が全て免除されるというものである。それに対し、ルターなどが異議を唱え、免罪符に対する抗議(プロテスト)を行い、それによって成立した教会はプロテスタントと呼ばれた。ルターは聖書を読める人が少ないラテン語からドイツ語にも訳し、広く門戸を開いた。

→宗教改革がスイスへ及び、蓄財を認めるカルヴァン派がヨーロッパへ波及。イギリスでも受け入れられるが、イギリスでは「イギリス国教会」という独自の宗派が誕生し、弾圧される。イギリスでは彼らはカルヴァン派プロテスタントであり、のちに「ピューリタン(清教徒)」と呼ばれる。国王による弾圧のため、多くのピューリタンはアメリカに移住。