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浄土真宗本願寺派 善教寺

仏説無量寿経 (大無量寿経、大経)HEADLINE

「それ真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり。」〔教行信証 教文類冒頭〕

「田があれば田に悩み、家があれば家に悩む。牛馬などの家畜類や、金銭・財産・衣食・家財道具、さては使用人にいたるまで、あればあるにつけて憂いはつきない。…また、田がなければ田を欲しいと悩み、家がなければ家が欲しいと悩む。…なければないにつけて、またそれらを欲しいと思い悩む。たまたまひとつが得られると他のひとつが欠け、これがあればあれがないという有様で、つまりは、全てを取りそろえたいと思う。そうして、やっとこれらのものがみなそろったと思っても、それはほんの束の間で、すぐにまた消え失せてしまう。」


「人間は心愚かにかたくなで、正しい教えを信じようとしない。したがって将来を思いはからず、われがちに目前の歓楽のみを追っている。愛欲にまどい、道徳をわきまえず、怒りにくるい、財と色とをむさぼることは、まるで狼のようである。そのために道が得られず、ふたたび悪道に沈んで苦しみ、いつまでも生死流転はつきない。なんという哀れな痛ましいことであろうか。」


「人はこの世の愛欲のきずなにつながれて生きているが、つきつめてみると、独り生まれ、独り死に、独り来て、独りゆくのである。すなわち、人それぞれの行いによって苦楽の境界にすむ身になるのであって、すべては自分自身がその責任を負わねばならない。だれもこれに代わることはできないのである。」


「あらゆる人々は、南無阿弥陀仏の名号のいわれを聞いて信じよろこぶならば、その信心は、如来から与えられたものであるから、浄土を願うとたちどころに往生が定まる身となり、不退の位に入るのである。」




○紀元前一世紀頃、インドのクシャーナ王朝版図内で成立。
○大経の構成
  序 分(じょぶん)〔序論〕釈尊出世本懐
  正宗分(しょうしゅうぶん)〔本論〕
  流通分(るずうぶん)〔結論〕

・序 分
  証信序(この経文に少しの誤りもないことの証明)
  発起序(正しくこの経が説き起こされた事情)
・正宗分
  1.弥陀成仏の因果を説く部分
  2.衆生往生の因果を説く部分
  3.釈尊が誡められる部分


 (正宗分 1.弥陀成仏の因果)
 過去久遠の昔、如来が世に出現し、数限りない衆生を教化してきた。54番目に出現された如来が世自在王如来であった。その時、一人の国王があり、その仏の説法を聞いて、無常のさとりを得たいという心をおこし、出家修行者となり、法蔵と名乗った。法蔵菩薩は才能が秀で、志が強く、賢く、世の人々に遥かに超えてすぐれていた。そして、師仏の徳を讃歎しながら、苦悩の衆生を救いたいという願い(=讃仏偈)をおこす。
その決意の堅固であることを知った世自在王仏は、大海の水を枡で汲み尽くすほどの長い間の精進努力を続けるならば、どんな遠大な願いも成し遂げられるだろうと激励され、二百十億の諸仏の国土に住む人・天の善悪、国の優劣をお示しになった。
法蔵菩薩は殊勝の願をおこし、五劫という長い間思惟して、真実の浄土とその浄土に生まれるための行を選ばれ、願を建てられた。その願が「四十八願」である。四十八願を説き示され、さらにその要点を重ねて誓う偈頌(重誓偈)を述べられた。
 そして法蔵菩薩はその願いを完成するために不可思議兆載永劫というはてしない長い時間をかけて行を修め、ついにその目的を達成して理想の浄土を西方に建立し、自分もまたさとりをひらいて仏となった。その浄土を極楽と名付けその仏を阿弥陀仏と名付ける。

(正宗分 2.衆生往生の因果)
 釈尊によって、法蔵菩薩の願が間違いなく成就していることを示される。
 〜仏、阿難に告げたまはく、「それ衆生ありて、かの国に生まるるものは、みなことごとく正定の聚に住す。〜あらゆる衆生、その名号を聞きて信心歓喜せんこと、乃至一念せん。至心に回向したまへり。かの国に生まれんと願ずれば、すなわち往生を得、不退転に住せん。ただ五逆と誹謗正法とをば除く」と。〜

(正宗分 3.釈尊の誡め)
 ここで説法の相手が阿難(アーナンダー、釈尊の弟子)から弥勒菩薩になる。阿弥陀仏の誓願をうけての誡めであり、まずこの世は三毒(貪欲・瞋恚・愚癡)によって苦しみの世界であるから、その国を離れて浄土往生を願うことが勧められている。その後、五悪とその報いとしての五痛・五焼について誡めて、五悪の反対である五善をたもつことが説かれている。

・流通分
 後の世にこの教えが流布するように説かれ、大経がどのような凡夫でも実践できる成仏法を内容とし、大経の肝要は本願であり、名号であることを示されている。