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浄土真宗本願寺派 善教寺

歓喜初後(かんぎしょご)HEADLINE

【題意】
 第十八願成就文では、第十八願文でいわれる「信楽」が「信心歓喜」と示されているが、その「歓喜」とは、信心をいただいた最初の時(初一念)からあるのか、それとも最初にはなく後になって出てくるものかを検討し、歓喜は初後に通ずるのであり、初起の歓喜は行者の三業の造作ではないことを明らかにする。

○「歓喜」=信心のすがた(相)。第十八願文の「信楽」の「楽」
○「初」=成就文の「乃至一念」の「一念」。信心のはじまり。
○「後」=成就文の「乃至一念」の「乃至」。開けおこった
     信心が生涯にわたって後に続いていく(相続)
○ 三業=身口意

【結び】
 成就文に「信心歓喜」といわれる「信心」と「歓喜」とは別のものではない。そして信心が初後一貫するのであるから歓喜も初後一貫する。初起一念の歓喜は仏勅に対し疑い晴れた最初の心相。無疑愛楽の心の開発する相であり、行者の三業にあらわれたものではない。三業のうえにあらわれるのは第二念以後の後続である。









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