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浄土真宗本願寺派 善教寺

念仏為本(ねんぶついほん)HEADLINE

【題意】
 念仏為本という言葉は、宗祖がお示しになった信心正因と矛盾するものではなく、また称名正因とは異なることを明らかにする。

○「念仏」=称名念仏
○「本」=根本
○法然聖人の浄土宗の構造=『教』(浄土三部経)、『行』称名
 念仏一つ、『証』阿弥陀如来の浄土に往生する。聖道諸宗に対
 して称名念仏という行による往生という構造。
 「往生之業念仏為本」。
○善導大師の『観経疏』「散善義」称名念仏で正定業。念仏為本
 は本願の乃至十念の他力の念仏であり、衆生の称えるところに
 功徳が存在するのではない(能称無功)。能称のところに因を
 いうのではなく、称えられる名号(所称の名号)の独りばたら
 きの外はない。
○称名念仏とは勝易であり、数の多少にかかわらず、また称える
 側の能力によってその価値が変化しないという点からいえば、
 称えるという行為に価値を認めているのではない。

【結び】
 法然聖人の念仏為本は、阿弥陀如来の救いの力・はたらきを念仏で示されるもので、称えるという行為に価値を認めるものではなく、信心正因と相違するものではない。







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