称名報恩(しょうみょうほうおん)HEADLINE
【題意】
本願には信心と称名念仏とが誓われているが、信心こそが往生成仏のまさしき因(正因)であり、称名念仏は、称える私たちの心持ちからいえば、阿弥陀如来の救いの光の中に摂め取られていることをよろこび、その感謝のおもいが声となってあらわれてきたものであることを明らかにする。
○本願には三心(至心・信楽・欲生、つまり信心)と十念(念仏)
が誓われている。十念には乃至という言葉がつき、数が限定され
ていない。また成就文には信益同時であることが説示されている
。つまり信心の開けおこる時に、往生成仏の因は満足するから、
信心こそが正因であり、念仏は信心をいただいたすがたとしてた
もち続けられるもので正因ではない。称名念仏とはその本質は
正定業であるが、称える心持ちからいえば報恩の行であり、
決して称えるという行為を役立たせて往生成仏を期待するもの
では無い。信心が正因であり、称名は報恩行。
【結び】
称名念仏、すなわち南無阿弥陀仏と称えるという私たちの行為は
決して救いの因として役立たせようというものではなく、ただ阿弥陀如来の恩をよろこぶ気持ちがあふれ出たものである。
戻 る